
一気に引き込まれました。 - すべての人間が、「凡人」と「非凡人」にわかれる・・・凡人は、服従を旨として・・・非凡人は、・・・かってに・・・を越える権利を持っている。『ロジオン・ロマーヌイチ・ラスコーリニコフ』、どこか親近感を感じることも・・・危ないかな。カラマーゾの兄弟に続いて、この作品を読んだ。次は悪霊、そして白痴と決めていたが、しばらく、ドストエフスキーから離れたほうがよさそうだ。
これが文学だったんですね・・・ - なぜか突然、初めてドフトエフスキーを読みたくなった。ロシア文学は難しそうな気がしていたが、江川卓さんの翻訳はとても読みやすく、ぐんぐん惹きつけられた。3日間で3冊読破しました。人間の心の描写がここまで深くできるものかと、驚嘆するばかりだった。それに、私は果たして主人公のようにここまで自分の存在の意味、人生を考えてきたか・・・と考えさせられた。これから、「悪霊」や他の作品も是非読んでみたいと思いました。
なぜ罪と罰なのか。。。 - なぜこのタイトルなのか?それが知りたくて読みました。時代背景や宗教観にちがいはありますが、現代社会においてもこの本が伝える罪と罰の真理は変わらないと思いました。陰と陽、天使と悪魔、裕福と貧困、権力と暴力。。。時代は変わらない。どの年代で読み返しても色々なことを考えさせてくれる一冊です。
永遠の聖女ソーニャ - 僕は旅に出て、列車の待ち時間が長いときなどよく町の図書館にふらりと入ってたいてい置いてあるこの小説を手に取る。そして、この本の真ん中あたりを開く。そこにこの小説の白眉のシーンがあるからだ。ラスコーリニコフがソーニャに自分の犯した罪を告白するシーンだ。純真なソーニャは人間の持つ邪悪さというものを想像することさえできない。本当に天真爛漫な人間の持つ善良さがこれほどリアルでかつ魅力的なまでに描写される小説を僕は他に知らない。もし現実にそのような女性がいるならば本当にめぐり合ってみたいと思う。人生の旅とはそのようなものでありたい。
上巻の感想 - ラスコリーニコフが質屋の老婆とたまたまその現場に居合わせてしまった妹のリザヴェーダを殺害してしまう。彼は、大学を辞めてからずっとその考えを温め続け、長い思索とイメージトレーニングの末にその計画を実行するが、なぜ彼がそこまでしてあの老婆を殺さなければいけなかったのかがいまいちよく理解できない。きっと、その時代のロシアの状況に関連しているのであろう。そしてまた不可解なのが、その殺人を正当化していることろである。なにか、彼にその使命でもあるのかのように思っている。ところが、殺害してみると、その正当性がいったいなんだったのか全くわからない。彼自身もよくわかっていないようである。そして、自分の犯した罪にびくびくし始め、混乱し、おかしな言動と行動を繰り返す。読んでいると自分が発狂したような気分になる。それだけ、ラスコリーニコフの混乱が続くのである。一体、この殺害の大義名分は何なのか、ラスコリーニコフは何のために生きているのか、そして、このタイトル『罪と罰』の示す意味とはなんなのか、上巻ではまだ読めないところである。時代背景をもう少しつかんで次の巻を読んでいきたい。